人生の楽園「二人だけの島暮らし」新島の場所、行くことは出来るの?鹿児島・新島。

今回の主人公は無人島になった故郷を守りたいと移住した、佐々木和子さん(59歳)と夫の直行さん(66歳)です。

舞台は鹿児島・新島で桜島の北東約2kmに浮かぶ周囲2kmの島です。

ピーク時には漁業も盛んで、島民も250人が住んでいたそうです。

しかし無人島になってしまった、知人の空き家を購入してリフォームしました。

そして今年9月に2人だけの、島暮らしをスタートさせたのです。

新島に行くことはできるのか?



新島には誰でも渡れるようでが、ただし宿はありません。

しかし無人島だったとはいえ、電気や水道も確保されているようでライフラインは確保されていたのですね。

新島へは無人島であった時から鹿児島市で桜島(浦之前港)と新島(新島港)間の運行を続けていたようです。

現在でも鹿児島市は市民の交通の利便と、市行政の円滑な遂行を図るために連絡船を運航しています。

運航日は毎週、日曜日、水曜日、金曜日で一日3便運航しています。

ただし気象条件等により欠航することもあり、運航便の定員は12名先着順です。

新島とはどんな島なのか?




新島は桜島の北東1.5kmに位置するちいさな島で、海底火山の噴火で隆起して誕生しました。

もちろん火山の噴火で隆起した島でしたから無人で、噴火してから20年たって人が住むようになったようです。

明治33年には桜洲小学校新島分場開校し、昭和43年にはコンクリートの新校舎完成しました。

しかし昭和47年人口の減少とともに廃校となってしまいました。

新島も年々人口が減少してしまい、ついに平成27年の国勢調査では人口が0人となってしまいました。

そこで今回の主人公佐々木さんご夫妻が故郷の島を守ろうと移住してきたのです。

鹿児島・新島
~ 二人だけの島暮らし ~

次回は桜島の北東1.5キロ、錦江湾に浮かぶ鹿児島市の新島(しんじま)が舞台。主人公は無人島になってしまった故郷を守りたいと移住した、佐々木和子さん(59歳)と夫の直行さん(66歳)です。昭和35年、新島で5人姉妹の末っ子として生まれた和子さんは、小学校4年生まで島の分校、5年生からは桜島の本校へ船で通いました。その後、鹿児島市街の叔母の家から中学、高校、短大と通い、卒業後は市内の絹織物の会社に就職。23歳のとき、鉄鋼を扱う商社に勤める直行さんと結婚。直行さんの故郷、北九州市で暮らし4人の子供を育てました。
和子さんに転機が訪れたのは50代半ば。鹿児島市街で暮らしている姉、4女のひろ子さんからの電話がきっかけでした。「新島が無人島になって荒れている」と聞き、直ぐに新島へ向かいました。そこで目にしたのはジャングルのように荒れ果てた故郷の姿でした。和子さんは「何とかしないと故郷がダメになる」と思い、月に1回、姉のひろ子さんと島に渡り掃除を始めることに。その後、夫の直行さんも一緒に行くようになり、新島通いは月2回に増えました。さらに姉のひろ子さんが友人、知人にも掃除を呼びかけ島は少しずつ綺麗になっていきました。
島との関わりを深めてく中で、和子さんは亡き父の言葉を思い出します。「新島をどげんかしたい。島の神社をどげんかしたい」。口癖のように話していた父・敬造さん。その願いを叶えようと、家族や知人らと協力し島の五社神社を再建することに。同時に和子さんは「新島に戻り、島を守って行こう!」と決意し、新島に残っていた知人の空き家を購入しリフォーム。今年9月、2人だけの島暮らしをスタートさせました。
新島にはお店がないため、週に1度は船で買出しに出かけます。そのために直行さんは船舶免許を取得しました。買い出しは桜島まで船で渡り、島から車で垂水市のスーパーへ行きます。野菜、肉、冷凍食品など1週間分を購入しますが、唯一買わないのが魚。お2人は時間を見つけては自宅前の海で釣りをしています。目指すは自給自足です。
無人島になった故郷を守りたいと北九州市から移住した佐々木さん夫婦の暮らしと、それを支える家族、そして元島民との交流を紹介します。